大正3 国体明徴声明で天皇機関説が否認されたことの影響

1930年代半ば、陸軍皇道派などによって、美濃部達吉の天皇機関説を排撃する運動が展開するなか、その圧力に屈した岡田啓介内閣が天皇機関説を否定する声明を発した。それが国体明徴声明である。
設問の狙いは、その影響である。
何と言っても、政党内閣の慣行を支える理論的な基礎が失われたことである。以後、自由主義的な言論・思想に対する統制が強化されていく。津田左右吉の「神代史の研究」が発禁処分を受けたことが、その証左である。
以上


石田謙治の晴走雨読

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